6.    会員より

6.1.     委員自己紹介 新任 名簿委員 田代 茂 (土木1974年卒 院1976年修了)

 1976年土木工学研究科大学院修了後、当時は日本の建設会社が海外への進出を始めだした時代であり、その流れで、英語以外の外国語、仏語ができる「人」をとして、海外部門の要員として熊谷組の海外事業部への推薦入社となりました。

 

 国内での現場研修・英語研修を経て、最初の勤務地、中東のイランに赴任しました。当時のイランは第二公用語が英語ではなく、仏語でした。

当時のイランは中東の中では 「パーレビ王朝」 の下、西欧文明・文化を追随し続けておりました。

 しかしながら、時を経ず、「イラン革命」 が起こり、パーレビ王朝は崩壊、パリに亡命していたホメイニ師の帰国により、カオスの時代に突入していきました。 そのような中、最初の現場だったガスパイプラインの工事は中断となり、革命が少し落ち着きだした頃より他のダム現場を転々とし、7年間の勤務を終え、帰国となりました。

 

 その後は、「何々文化圏」「何々語圏」と言ったことの斟酌はなく、一派一絡げに「海外経験者」として、以後、30年にわたり海外勤務・単身赴任での転戦が始まりました。 米国・欧州・南太平洋・豪州と「造注」・「敗戦処理」係として渡り歩き、50を過ぎ、「浦島太郎」として帰国、自らも「処理」、早期退職し、以後、数社の転職を繰り返し、最後は全く違う分野、「車関係の会社」で、70歳を迎え、サラリーマンの人生を終えました。

 

 工業倶楽部とのかかわりですが、帰国後に、きっかけをよく覚えていないのですが、工業倶楽部の関東支部に参加、この度、水谷委員の御推挙?/勧誘を受け、名簿委員をお受けすることとなりました。

 

 最後に、個人的な趣味の話を:

 学生時代は「山岳部」に所属したこともあり、「歩く事」が好きなため「山」の替りに、「旅」を良くしております。

自慢です:濃淡はあれ日本は全都道府県、足を付けました。また、EC諸国も、一応、網羅完了。当時の立てた目標は「歳」の数だけの「国」の訪問でしたが、60弱で未達成。

 昨年5月に退任、今年の3月まで、非常勤顧問を勤めていましたが、完全フリーとなり、今は全日本を再度回ることに目標を変更、その目標に向かって実施・邁進中?です。

6.2.  事務局長より      水谷 隆 (土木1980年卒 院1982年修了)

 2013年に土木の名簿委員として参加し、2018年度より事務局長を担当しています。 今期も引き続き事務局長を担当することになりましたが、この機会を最後としたいと考えています。 残りの2年、支部長をサポートしていきたいと思います。 今後の課題等も含めて、関東支部活動で考えるところを整理しました。

 

 

 2022年度総会はオンラインで開催し、23名の正会員の方に参加頂きました。 参加人数的には少し寂しい総会となりました。 しかし、個人的には参加希望者への電子メール対応などの作業が増えてしまいました。 案外この人数は個人的に対応出来得る妥当な人数ではなかったかと考えています。電子メールを利用した案内は、最初の発信は一括で出来ますが、その後五月雨的にやってくる連絡には多くの時間と手間がかかることが分かりました。 今後、オンラインの活用を広げることは大切ですが、それに伴って増える作業量とのバランスも考慮する必要があります。 個人的な負担が増えます。

 

 総会後には貴重な講演を頂きました。 私は、この内容を多くの卒業生の皆様に伝えたい、提供したいと思っていますが、なかなか実現出来ずに残念な気持ちを持っています。 関東地区にお住いの卒業生の皆様にどのような方法で情報を発信するべきかを常々考えています。

 

 会員増加がなかなか図れない現状があります。 関東地区の卒業生の皆様にはご案内を出しているのですが、興味を持って頂けないようです。 また、内容を理解頂けていなのかもしれません。 そこで、正会員の皆さんの職場つながり、講座つながり、サークルつながりなどで関東支部を紹介頂けたらと思います。 案外、個人的なつながりから広がるかもしれません。 正会員の皆さんサポートをお願いしたいと思っています。

 

 今どきの学生は同級生とLINEでつながっているそうです。 卒業後はスマートフォンのLINEグループを維持すればつながりは半永久的に消えることがありません。 私も仲の良かった高校の同級とつながっています。 将来的には工業倶楽部のありかたも変わってくると思います。

 

以上